沖縄出身のBOOMが歌う「島唄」は、1945年、太平洋戦争(大東亜戦争)末期による日本の本土内での陸戦としてそこに住む住民まで巻き込んだ戦闘が行われた沖縄戦の悲劇をうたった歌です。
(*第二次世界大戦は、1945年(昭和20)8月10日、日本は米英中3国によるポツダム宣言受諾を申し入れ、15日無条件降伏し、が終結しました。)
沖縄戦とは?
沖縄戦(おきなわせん、沖縄の戦い)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(英: Operation Iceberg、氷山作戦)。第二次世界大戦における太平洋地域での最大規模の陸戦であり、また日米最後の大規模戦闘となった。
沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人
沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる[32]。その内訳は、沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。
島唄 本当の意味(裏歌詞付)
島唄 本当の意味(裏歌詞付)
歌の意味
『島唄』
歌: The BOOM 作詞:宮沢和史でいごの花が咲き
風を呼び 嵐が来た災厄を告げるというでいごの花が咲き、
(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸したでいごが咲き乱れ
風を呼び 嵐が来た
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のようでいごが咲き乱れる1945.4-6月に、
寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返されたウージぬ森で あなたと出会い
ウージぬ下で 千代にさよならサトウキビ畑であなたと出会い
(ガマ)鍾乳穴の防空壕で 君が代にいう永久の御代との別れ島唄よ 風にのり
鳥(しびとの魂)と共に 海を渡れ島唄よ 風にのり
しびとの魂と共に 海を渡れ島唄よ 風にのり
届けておくれ わたしぬ涙島唄よ 風にのり
本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀をでいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花でいごの花も散る1945.6.23に
戦闘も終わり、宝より大切な命が散り、
生き残っている者もあまりいない
日常生活は、簡単に消え去ったウージぬ森で うたった友よ
ウージぬ下で 八千代ぬ別れさとうきび畑で謡いあったあの人は
防空壕の中で、戦闘によって死んだ(*繰り返し)
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ沖縄民謡よ、風に乗って
魂と共に、海を越えて
(あの人の居るニライ・カナイ=天国へ)島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を島唄よ 風に乗り
(ニライカナイへ)届けておくれ 私の愛を海よ
宇宙よ
神よ
いのちよ
このまま永遠に夕凪を海よ
宇宙よ
神よ(豊穣をもたらす)
いのちよ(何物にも代え難い命という宝よ)
このまま永遠に夕凪(平和)を(祈る)(*繰り返し)
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